2011年6月18日土曜日

政官業界が癒着「鉄の三角形」原発問題、混乱招いた最も聡明な人々

福島第1原子力発電所の事故からまもなく3カ月。緊迫した状況は今なお続く。なぜ事故を防げず、混乱が収まらないのか。背景には、外部からのチェックを受け付けない「原子力ムラ」の存在がある。そこには日本版ベスト・アンド・ブライテスト(最良の、最も聡明な人々)のもたれ合いが見える。

 原子力ムラの中枢を構成するのは、経済産業省、政治家、電力会社。これまで互いにエネルギー政策の主導権を争いながらも閉ざされた「鉄の三角形」の中で、互いの既得権益を守ってきた側面がある。
 1990年代以降、原子力ムラには3つの大きな転機があった。いずれも国民の利便性向上などの改革につながる転換点だったが、結局は鉄の三角形の既得権益を守る方向で決着した。その経緯からは国民不在でムラの論理を優先させる姿が浮かび上がる。

■転機(1) 経産省の影響力高めた省庁再編

 転機の一つに挙げられるのは2001年1月に実施された中央省庁再編だ。

 現在の国の原子力行政は両輪構造になっている。「推進機関」として経産省資源エネルギー庁と内閣府原子力委員会があり、「安全規制機関」として経産省原子力安全・保安院と内閣府原子力安全委員会がある。この体制は01年の中央省庁再編で発足した。

 省庁再編は高級官僚の接待汚職事件を引き金に「霞が関改革」の気運が高まったことを受け、1997年に橋本龍太郎内閣が枠組みを決めた。大蔵省(現・財務省)は金融行政を切り離され、厚生省と労働省(現・厚生労働省)、建設省と運輸省(現・国土交通省)がそれぞれ統合するなど、霞が関の景色は一変。そんな中で通商産業省は名称こそ変わったものの、無傷で「経済産業省」に衣替えした。

 とりわけ原子力行政では、経産省の役割が通産省時代よりも大幅に強化された。それまで科学技術庁にあった原子力局と原子力安全局を廃止し、経産省資源エネルギー庁に原子力安全・保安院を新設。総務庁の下で政策づくりの要だった原子力委員会は改組し、従来は閣僚が務めていた委員会委員長は有識者、科技庁原子力局長が務めていた委員会事務局長は当時新設の内閣府課長級ポストにいずれも格下げし、相対的に原子力政策の「推進」面も「安全」面も経産省の影響力が増した。

 新体制発足後、原発絡みの不祥事やトラブルが発生するたびに、原子力行政の「推進」と「安全」の旗振り役が経産省の傘下に同居していることを問題視する議論が広がり、「保安院を環境省に移管すべきだ」との声も上がった。だが経産省は「人事体系を分ければいいというものではない。ミスを発見し、大事故への拡大を防ぐためには情報の共有が必要だ」などと激しく反発。アクセルとブレーキが同居する形が現在まで続くことになった。

70年代の佐橋滋vs両角良彦の元事務次官同士の派閥争い、93年の熊谷弘通産相(通産官僚OB)による内藤正久産業政策局長解任騒動など、通産省時代からこの組織では人事抗争が繰り返されてきた。その後も石油公団廃止(05年)後の関連会社や天下り先の人事を巡る大物OBの介入など、「省益あって国益なし」との批判が経産省には絶えない。96年に発覚した元石油卸商による脱税事件(「泉井事件」)に絡み、通産省は過剰接待で多数の処分者を出したが、省庁再編の際には過去を問われず、通産シンパだった首相の橋本の意向もあって組織が温存されたという。


 省庁再編の翌年、次の転機が訪れる。

■転機(2) 東電の原発データ改ざん

福島第1原発は緊迫した状況が今なお続く=東京電力提供

 02年8月、福島第1原発の定期検査を巡る東京電力によるデータ改ざんが発覚した。

 同原発の原子炉格納容器の密閉性を測る試験で、東電が意図的に空気を注入したりするなどしてデータを操作したことを作業を請け負っていた米GE(ゼネラル・エレクトリック)の元社員が資源エネルギー庁に内部告発した。東電では当時の南直哉社長、荒木浩会長に加え、那須翔、平岩外四の両相談役の歴代社長4人が不祥事の責任を取る形で一斉辞任を余儀なくされた。

 歴代4社長の辞任は、清水正孝社長が引責辞任するという今回の事故を受けた経営体制の見直しよりも大掛かりだ。その裏には改ざん発覚後に開いた記者会見での社長の南の発言がある。

 当時進行中の福島第1原発のプルサーマル計画について南は「信頼を損ねた以上、私どもからお願いすることはできない」と事実上の凍結方針を明らかにした。プルサーマルは再処理した核燃料を利用することで資源の有効活用が可能になる一方、技術的な課題を指摘する声が根強くあった。

 経産省はプルサーマルを含む核燃料サイクルを国策として推進する立場だったが、南の凍結発言はただでさえ95年の高速増殖炉「もんじゅ」の火災事故などで破綻に瀕(ひん)していた政策の足かせになる格好になった。南の発言を聞いた経産省幹部は「原子力政策の身動きが取れなくなった」と激怒。これが前代未聞の4社長辞任の発端といわれていた。

 データ改ざん問題は電力業界の体質改善を一気に進める好機だった。だが歴代社長辞任でカタルシスを得た経産省は長年の懸案だったはずの「発送電分離」など、それ以上の改革に踏み込むことはなかった。経産省は原子力行政の体制維持を優先させたのである。

 それどころか、この時、原子力ムラの自浄作用に大きな疑問を抱かせる経産省の不手際が明らかになる。

 そもそもGEの技術者が資源エネルギー庁に内部告発の文書を送ったのは2000年12月。その対応は翌月(01年1月)に発足した保安院に任されたが、保安院はその告発を2年も放置したうえ、告発者の氏名を東電に明かすという大失態を演じていた。本来は監督当局として公正中立の立場にあるべきにもかかわらず、経産省は「原発安全神話」や原子力ムラの秩序にこだわるあまり、告発を押さえ込む方向に引きずられた。


■転機(3) 立ち消えになった電力ビッグバン

2011年3月期連結決算を発表する東京電力の清水正孝社長(5月20日午後、東京・内幸町の本店)=共同

 実は省庁再編と改ざん問題からさかのぼる90年代後半、電力業界は電力会社の地域独占体制を改める「自由化」を巡って永田町や霞が関で激しいつば競り合いを演じていた。これがもう1つの転機だ。

 最大のヤマ場は97年1月、「タブーとされてきた電力会社の発電、送電の分割を大いに研究すべきだ」という当時の佐藤信二通産相の年頭所感で幕が開いた「電力ビッグバン」騒動。当時の橋本政権は「01年までに国際的に遜色のない電気料金の実現」「発電・送配電の分離」「火力発電事業への競争入札制度導入」などを掲げ、電力業界の構造改革を進める構えを見せていた。

 だが政権の腰が定まらなかった。業界への切り込み役を務めた佐藤通産相は97年9月の内閣改造人事であっさり退任。98年7月に橋本内閣が参院選敗北で総辞職すると、「電力ビッグバン」の言葉は死語になった。

 もともと橋本政権が電力自由化を切り出した背景には、東電の社長、会長を歴任した平岩が経団連会長在任中に宮沢政権を倒して誕生した細川護煕政権にシンパシーを寄せたことや、経団連による政治献金斡旋廃止を打ち出したことに対する自民党の「報復」の意味合いがあったといわれていた。

 電力ビッグバンは「動機が不純」だっただけに、腰折れになったといってもいい。自由化論者とされた通産省の「改革派」たちも、結局はご都合主義の自民党政権の先棒を担がされたという印象を残しただけで、電力会社の地域独占は温存された。

 エネルギー行政を巡る政官民の関係が垣間見える発言がある。


 「私が“電力官僚”だった20代半ばのころ、先輩から『電気事業法に触るとクビが飛ぶぞ』と言い聞かされた記憶がある」。経産省OBで、現在はみんなの党幹事長である江田憲司が5月17日の記者会見で披露したエピソードだ。

■政官民の3すくみ

「鉄の三角形」の中で互いの既得権益を守ってきた(左から国会議事堂、東京電力本社、経済産業省)

 電力会社に安定した電力供給を義務づける一方で、地域独占体制を認めたのが65年に施行された電気事業法。この法律を変えることは、既存の9電力体制(沖縄電力を加えれば10電力)の改革・再編の道を開くことにつながる。そうなると、政治力旺盛な電力業界が黙っていない。官僚本人だけでなく、資源エネルギー庁長官を更迭することにもなりかねないという話だった。

 官僚、政治家、企業の関係は「3すくみ」とよくいわれる。官僚は政治家(大臣)に弱く企業には強い、政治家は官僚に強いが企業(スポンサー)には弱い、企業は政治家に物を言えるが官僚(監督官庁)には弱い――というのが3すくみ。経産省と電力業界、与党時代の自民党の関係はその典型だった。だが見方を変えれば、この3者は持ちつ持たれつの関係で利益を享受してきた「鉄の三角形」ともいえる。

 電源の開発では大きなカネが動く。特に原発の場合、まず建設費が火力発電所の1.5倍の1基あたり4000億~5000億円という巨大プロジェクトになる。これに電源3法交付金など、国から原発が立地する自治体への交付金や外郭団体が受け取る原子力関係予算の総額が年間ざっと4500億円(11年度概算要求ベース)、このほか原発プラントのメンテナンスや使用済み核燃料再処理、放射性廃棄物処分など、電力会社からの原子力関係支出が年約2兆円に達する。

 大きなカネが恒常的に動けば、それは「利権」になる。当然、政治家も企業も官僚も分け前に与ろうと躍起になる。

■エリートがはまる失敗の構図

 「原発安全神話」に不可欠な学者、有識者も含め、そこに群がる人々は例外なくトップエリートたち。経産次官は現任の松永和夫をはじめ、ほとんどが東大法学部卒であり、東京電力の61年以降50年間の歴代社長8人のうち、現社長の清水を除く7人が東大OB、そして日本の原子力学界の主流は東大工学部原子力工学科の卒業生。原発には日本の頭脳が集まっている。

 つまり福島第1原発で「レベル7」の大惨事を引き起こした原子力ムラは、日本の「ベスト・アンド・ブライテスト」の集合体だったといえる。

 根拠なき楽観、見たくないものから目をそらす習性、現場軽視、権力者への迎合――。60年代の米国をケネディ政権の超エリートがベトナム戦争の泥沼に引きずり込んでいったのと同じ失敗の構図が浮かび上がる。

 責任体制が明確ではなく、対応は後手に回り、情報は二転三転する。今回の事故とその後の混乱による国への打撃は、これまでの3つの転機と比べものにならないほど大きい。これで「原子力ムラ」の体質が転換できなければ、原子力行政の未来は開けない。

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