2011年6月26日日曜日

すごい現場~事例に学ぶ ヤマト運輸ビジネスリーダー

計画停電で生きた「パンデミックの備え」 ヤマト運輸 被災企業はこうして早期復旧した

 東日本大震災後の電力不足を受けて首都圏で実施された計画停電。ヤマト運輸は一部の物流拠点が停電の対象となり、荷物の仕分けやコールセンター業務ができなくなる事態となったが、周辺の拠点に作業を肩代わりしてもらうことで無事、乗り切った。停電や深刻な燃料不足はヤマトにも「想定外」だったが、2年前、新型インフルエンザの爆発的大流行(パンデミック)懸念が高まった際の取り組みが生きた。


 東京電力が早急に計画停電を実施に移したのは2011年3月14日。それからわずか3日後の3月17日午後6時20分頃、神奈川県愛川町にあるヤマト運輸の中間物流拠点「厚木ベース」への電力供給が途絶えた。福島第1原子力発電所の事故などを受け、東京電力が3月14日から実施していた計画停電の対象地域となったのだ。

新設した「救援物資輸送協力隊」が、被災地域の各自治体や自衛隊などと連携して、救援物資の仕分け作業や各拠点への輸送を支援
 この時間帯は荷物の仕分け作業がピークを迎える。このため電力供給が滞ってしまうと、作業の大幅な遅延を招きかねない。大規模な遅配が起きれば、顧客からの信用を失う。仮に自家発電装置を用意したとしても十分ではなく、複数ある作業ラインのうちの1つを動かせるかどうかの電力を確保するのが精いっぱいだ。

■3時間にわたり、荷物も電話も周辺拠点に振り分け

 計画停電という「想定外」の事態に直面したヤマトだが、BCP(事業継続計画)という備えを最大限に生かすことで「顧客への影響を未然に防いだ」(筧清隆品質向上推進部長、4月16日よりヤマトフィナンシャル執行役員東京統括支店長)。特定のベースが機能しない状況に陥っても、近隣のベースで仕分け作業を継続できる仕組みを整えていたからだ。

 実際、厚木ベースへの電力供給が再開した午後9時20分までの約3時間、厚木ベースに持ち込む予定だった荷物を、同じ時間帯に計画停電の対象から外れていた西東京や静岡、神奈川など4カ所のベースに振り分けた。

 計画停電の影響は仕分け作業だけにとどまらない。厚木ベースは同じ建屋内に、集荷依頼など顧客からの問い合わせを受け付けるコールセンターを備える。計画停電で電力供給が途絶え、このコールセンターも機能しなくなった。

 ベースの場合と同様、コールセンターでも事前の備えが功を奏した。問い合わせの電話を別のコールセンターに振り分ける「受電分散」の仕組みを使ったのだ。これによって、「停電による影響などを心配したお客様から、12月のピークに匹敵する件数の問い合わせがあったが、十分に対応できた」(筧部長)。


 なぜヤマトは事業継続の要であるベースやコールセンターが機能を失うリスクを想定して準備を進めていたのか。背景には、2009年に新型インフルエンザの爆発的大流行(パンデミック/async/async.do/ae=P_LK_ILTERM;g=96958A90889DE2E6E5E2E0E1E1E2E0E4E2E1E0E2E3E29BE0E2E2E2E2;dv=pc;sv=NX)というリスクが顕在化したことなどがあった。

■40%欠勤でも事業継続を可能に

緊急時に近隣のベースに荷物を振り分ける仕組み

 ヤマトが荷物を集荷・配送する仕組みはこうだ。まず、全国に約4000カ所ある「センター」と呼ばれる営業所に集めた荷物を全国71カ所のベースに持ち込む。ベースでは持ち込んだ荷物を仕分けし、配送先に近いセンターに送る。全国に10カ所ある支社の主管地域を荷物がまたぐ場合は、ベースで仕分けた荷物を、配送先を管轄するベースに移したうえで、最寄りのセンターに届ける。もしパンデミックでベース勤務者の大半が出勤できなくなれば、持ち込まれた荷物の仕分け作業がストップしてしまう。

 こうした事態に陥れば「大規模な遅配は免れない」(筧部長)。このため、たとえベース勤務者や配達員の40%が欠勤しても、事業を継続できるBCPを作り上げた。全国のいずれかのベースが機能しなくなっても、近隣のベースで荷物の仕分け作業を肩代わりできる仕組みを構築したのだ。

 具体的には、過去の物量などの実績データに基づいて、近隣のベースにどれだけの荷物を振り分けるべきかをシミュレーションし、時間帯ごとにパターン化している。「パンデミックと計画停電はベースが機能しなくなる点で根は同じだった」(筧部長)。

 ヤマトは阪神淡路大震災の経験を踏まえ、2000年に「危機管理マニュアル」を作成した。地震や大雨などいくつかのリスクに備えて、事前に準備すべき事項や心構え、復旧の優先順位などを定めた。


 2007年には、今後30年以内に発生する確率が87%といわれる東海地震に備えて「本社地震対策マニュアル」を策定した。これは本社が被災するケースを想定したBCPで、地震発生後に、時間軸に沿って各部門がどういう手順で対処すべきかや本社機能を支社に移す手順などを規定している。

ヤマト運輸によるBCP策定の推移

 パンデミックの危険性が叫ばれ始めた2009年頃、ヤマトで「既存のBCPではパンデミックに対処できない」との危機感が高まった。パンデミックでベース勤務者や配達員の大半が出勤できないとなれば、本社だけでなくベースも機能しなくなることが予想できたからだ。だからこそ、複数のベースが機能しないケースを想定して、BCPを整備した。

■難題は4つ、“ダブル”対策本部体制で対処

 備えが十分でも、意思決定が遅れれば宝の持ち腐れになる。ヤマトがパンデミックに備えたBCPを計画停電に生かす判断を素早く下せたのは、指揮命令系統を整備できていたことが大きい。

 震災発生後、ヤマトはすぐにBCPに沿って、主に被災地域での対応を担う対策本部を設置。社員の安否確認、荷物の保全、施設の保全、業務復旧という順序で対処し始めた。

 さらに、震災から3日後の3月14日、ヤマトは事業継続を担う対策本部を新たに設けた。計画停電への対応はこの本部が一手に引き受ける。

 新たに対策本部を設置した理由について筧部長は「東日本大震災は影響が広範囲に及んだため、対策本部が1つでは対処しきれないと考えた。被災地域の対応に加えて、計画停電や燃料不足、社員の通勤困難、首都圏での物資不足という4つの事態に対処するには別に対策本部が必要だった」と説明する。

■現場の判断で出勤先を変更可能に


ヤマト運輸の筧清隆・前品質向上推進部長

 この4つの事態のうち、計画停電と並んで影響が特に大きいと考えられたのが燃料不足だった。宅配事業を展開するヤマトにとって、燃料不足は顧客に荷物を届けられないリスクを生む可能性があるからだ。

 ヤマトは関連会社の力を結集し、事態の打開に動いた。ガソリンスタンドの管理・運営などを手掛けるヤマトオートワークスから、集配車両の燃料である軽油を優先的に調達できるようにした。

 燃料不足は配達員の足にも影響を与える。というのも、ヤマトでは配達員の大半が車で通勤するからだ。

 対策は2つ。1つは、配達員に通勤手段を公共交通機関や自転車などに改めるよう促した。車以外にどういった通勤手段が適切かを配達員が判断できるよう、自宅からの距離別に通勤手段の割合についての情報も提供した。

 もう1つは、現場の判断で出勤先を最寄りのセンターに変えられるようにした。「権限を現場に委ねることで、上長に報告する時間を省け、事業への影響を最小限に抑えられると判断した。緊急時は調査・報告の手間を極力省くことが重要になる」と筧部長は話す。

 事業継続を担当する組織を別に設けたことで、当初の対策本部は被災地域の復旧支援に力を集中できるようになった。3月23日に被災地域の主管支店傘下に設置した、復旧支援の専門組織「救援物資輸送協力隊」が最たる例だ。岩手や宮城、福島の3県に集配車両を200台、支援人員を500人配置した。自治体や自衛隊などと連携し、救援物資の仕分け作業や各拠点への輸送を支援している。

 計画停電への対応などが一段落した3月24日、ヤマトは対策本部を1つに統合した。 (以上、敬称略)

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