2011年4月30日土曜日

原発事故の経緯 政府・東電の国民見殺し と 米国務長官ヒラリーの激怒と失望

怒鳴る首相、募った「東電不信」 初動混乱の原発事故


迷走1カ月半を検証 (1/2ページ) 2011/4/30 4:00

 「レベル7」という最悪の事故に至った福島第1原子力発電所の放射能漏れ。東京電力、原子力安全・保安院、首相官邸と官僚機構など日本の頭脳たる官民の組織は、初動から、その後の対処でも混乱の収拾は遅れた。幾重もの安全装置の壁を軽々と越えて浸入してきた未曽有の津波を前に的確な情報集約さえできず、米国からの支援も事実上、断るなど瞬時の判断を誤った。迷走した1カ月半。危機は必ず来るという前提で「想定外」に備える難しさを浮き彫りにした。

事故直後、官邸と東電との意思疎通が悪かった(3月15日、東電本店に入る菅首相)=共同

 海江田万里経済産業相は3月14日深夜、東京電力の清水正孝社長から電話を受けた。「放射線量が多く、これ以上、現場では作業ができません。第1原発から退避して第2原発に行きたい」
 爆発寸前の第1原発を事実上、見捨てて南に約10キロも離れた第2原発に大半が避難したらどうなるのか。政府と自衛隊に丸投げされても対処は不能だ。経産相から社長発言の報告を受けた菅直人首相は怒鳴った。「そんなことありえないだろ」

■溶融の恐れに衝撃

 現場は切迫していた。午前に3号機が水素爆発し、午後には2号機で水位低下。午後9時には炉心の燃料溶融に関し枝野幸男官房長官が1~3号機とも「可能性は高い」と言明し衝撃が走る。
 自衛隊員4人が午前の水素爆発で負傷し、防衛省は東電の「大丈夫」との判断に疑問を抱く。夜には中央特殊武器防護隊員らが郡山市の駐屯地に一時退く。
 同様に第1原発の近くで待機していた原子力安全・保安院の職員らも郡山に退く。住民は半径20キロ内からの避難指示だが、安全を担うはずの保安院は50キロ以上先の郡山へ。炉心溶融か、という極限の状況を考えれば、だれよりも危険を認識していた東電が人命を優先して事実上、第1原発からの全面撤退を決断したとしても一概に批判できない。
 一方で首相の東電不信は頂点に達していた。国の存亡、自身の進退を含め、あとはない。第1原発には6つの原子炉と7つの使用済み核燃料プールがある。「チェルノブイリ原発をはるかに超える規模なのに、最悪の事態に関して聞いても誰も答えられない」
 そこで首相は原子力災害対策特別措置法をよく調べるように指示。「原子力災害対策本部長(首相)は事業者に必要な指示をすることができる」との文言を見いだすと「これで東電との統合本部がつくれるか」と口にした。
 清水社長の官邸入りは15日午前4時17分。首相は「本当に撤退を考えているのか」とすごむ。清水社長は「いや、そうではありません。すべてを引き揚げるわけでは……」。

 東電側は「必要な人員だけ残し、その他は離れるとの判断なのに政府が取り違えた」(幹部)と説明する。だが、首相官邸と危機対応の現場では「複数のルートの情報があった。東電が事実上の撤退を念頭に置いていたのは間違いない」と見る関係者は少なくない。


■「東電に責任」

海江田経産相らが出席した統合本部の初会合(東電提供)

 首相の怒りは、初動の遅れ、計画停電での混乱など東電へのいら立ちが募った結果でもある。伏線はあった。2日前の13日午後、清水社長は首相官邸を訪ねている。「なぜこんな事態になったんだ。あまりに不手際を繰り返している」。首相は話が進むうちに突然、激高した。直前に首相は東芝の佐々木則夫社長に「行政がやれることはすべてやる。しっかり対応してほしい」と声をかけた。あまりに対照的な対応だった。
 首相は15日早朝の会談で清水社長に政府と東電の統合本部の設置を打診した。清水社長は「分かりました」と応じるほかなかった。首相が自ら東電本店に乗り込み、幹部らを前に「撤退したときは東電は百パーセントつぶれます」とぶった約1時間前の出来事だ。
 統合本部には首相の名代、細野豪志首相補佐官が常駐する。放射性物質の封じ込めから米国との連携までを一手に担う。首相周辺は「統合本部こそが原発対応の要」と解説する。
 政府が東電の意思決定プロセスに積極介入する一方で、東電を突き放すような態度も目立つ。厳しさを増す東電の経営に関して首相は「基本的には民間事業者としてがんばってもらいたい」との姿勢だ。賠償問題でも首相や枝野官房長官は「一義的には東電に責任がある」と歩調を合わせる。確かに「何十万件にもなるかもしれない訴訟案件を皆、国が引き受けることはできない」(政府高官)。

 4月17日に事故収束に向けて東電が発表した工程表の作成には政府側が強く関与している。「東電に工程表を作るよう指示した方がいい」と細野氏は進言。首相も東電の発表から5日後の記者会見で「国も含めて取り組めば十分、実現可能だ」と期待を口にした。
 東電ばかりを前面に出す姿勢には、政府内でも「官邸の責任の回避だ」との批判が残る。「一義的に東電、と言うのは責任逃れではなく、事実として東電の権限を国が制限する仕組みになっていないからだ」。馬淵澄夫首相補佐官は22日、講演で、東電の株主ではない国の関与には限界があると説明した。
 それなら国策としての原子力推進は一体誰が担ってきたのか。政府高官はぼやく。「結局、東電こそが原子力行政そのものだった」

クリントン長官の勇み足、日本の「甘さ」に一因


原発事故 迷走1カ月半を検証 (1/2ページ) 2011/4/30 4:00

日米外相会談を終え記者会見するクリントン米国務長官(左)と松本外相(17日、外務省飯倉公館)
 日米のあつれきが表面化したのは原発事故が抜き差しならない局面に入った3月11日。クリントン米国務長官の力強い発言がワシントン発のニュースとして流れ、必死の形相だった東京の危機管理に関わる担当者らの顔色が一瞬、ほころぶ。「米軍機で日本の原発施設の一つに非常に重要な冷却剤を輸送した。日本と米国市民のために可能な限り深く関与していく」。出席した大統領輸出評議会で誇らしげに報告したのだ。

■「東電で対処可能」
 危機管理の経験豊富な米軍が動きだした――。これで展望が開けると期待が膨らんだのもつかの間。実際に冷却剤が届いた事実はなく、後に国務省も間違いを認めた。クリントン長官も危機のさなかの日本政府は間違いなく支援を受け入れる、と踏んで「原発に輸送した」との過去形のニュアンスを出したとみられるが、勇み足だった。

 「問題は日本側にあった」。民主党幹部は、この段階では政府が米側の原子炉冷却に関する申し出を断っていたと証言する。早急な海水注入など廃炉/async/async.do/ae=P_LK_ILTERM;g=96958A90889DE2E6E5E2E0E1E0E2E0E4E2E1E0E2E3E29BE0E2E2E2E2;dv=pc;sv=NXが前提だったからだ。菅直人首相も炉心溶融の危機を十分に認識せず、米国頼みではない自前の対処に傾く。この時、東京電力も「自社で対応できる」と報告していた。
 13日、首相官邸での緊急災害対策本部の会合。北沢俊美防衛相は「ルース駐日米大使から電話があり、エネルギー省副長官が日本政府と意見交換したいと言っている、きちんと話をしてほしい」と発言する。
 情報を要求する米国の強い態度に日本側でも反発が出る。政府関係者は「経済産業省は東京電力と原子力安全・保安院との関係が深い一方で、事故の当事者意識が希薄。『米原子力規制委員会(NRC)などは日本の原発事故の生情報を取りたいだけだ』と突き放していた」と指摘する。
 この間、水素爆発が相次ぎ事態は悪化する。米国との信頼関係も揺らぎ、ついに首相も日米の緊密な連携への方向転換を迫られた。

■米側に募る不信感


 「ちょっと残っていただけますか」。首相官邸での16日の会議後、首相は防衛相を呼び止めた。「日米の連携がうまくいかず困っている」。袖にされていた米側の不信感は強く、NRCとの関係修復が課題だった。同じ頃、ルース大使は民主党有力議員に電話した。「日本政府は危機感を持っているのか。米側の協力を受ける気があるのか」
 変化の兆しが見えたのは自衛隊ヘリが3号機に水を投下した17日。防衛相と会ったNRC幹部のカスト氏は「やっと日本の閣僚に会えた」と表情を緩め、防衛省内で外務省や経産省、NRC、在日米軍の会議の開催が決まった。
 それでももつれた糸を解きほぐすのは難しい。19日の会議では米側が原子炉への窒素注入や格納容器を水で満たす「水棺」を提案した。ともに4月に実行されたが当時は原子力安全・保安院や東電が慎重だった。民間では米建設大手ベクテルの幹部が16日ごろ、首相官邸に「日米間の情報共有を統括するスタッフを置くべきだ」との書簡を送ったが1カ月も放置された。
 米側の不信を伝え聞いた首相官邸は22日、細野豪志首相補佐官がトップの日米実務者協議を設ける。官邸のスタッフは「この頃から日米の意思疎通がスムーズになった」と振り返る。
 それから1カ月後。米国では大半が休日扱いの聖金曜日に藤崎一郎駐米大使は国務省にナイズ国務副長官を訪ねた。「米国は何でもやる」と今後の支援を約束したナイズ氏はモルガン・スタンレーの最高執行責任者(COO)を務めたウォール街出身。
カンター米通商代表部代表のスタッフだった経歴から通商問題に精通し、クリントン長官の訪日の舞台裏を取り仕切った人物だ。
 ナイズ氏は震災の米経済への影響を懸念し、訪日前のクリントン長官に「日本は営業中、とのメッセージが大事です」と進言。米経済界には巨額の復興予算への期待もにじみ、全米商工会議所のドナヒュー会頭は復興ファンドを提唱した。ナイズ氏はクリントン長官来日にドナヒュー氏を同行させ政経一体も演出した。
 来日したクリントン長官は4月17日、松本剛明外相に明言した。「訪日目的は日本がビジネス先、渡航先として大丈夫と示すことだ」。震災発生からは既に1カ月以上が過ぎていた。

放射性物質の拡散予測、「二重行政」で遅れた公表


原発事故 迷走1カ月半を検証 2011/4/30 4:00

 放射性物質の拡散を予測する文部科学省の「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」。第1原発の事故での初公開は1号機の水素爆発から10日以上過ぎた3月23日午後9時だ。枝野幸男官房長官は「文科省に放射能の広がりを逆算できないか指示してきたが(原発から出た放射性物質量の)データがなく難しいとのことだった」と説明した。

 結局、公表に踏み切ったのは開発者たる文科省ではなく内閣府の原子力安全委員会。班目春樹委員長も「(事故後に)なぜか突然、(専門家の立場で)評価してくれと言われた」と文科省の“丸投げ”を示唆する。安全委と経済産業省の原子力安全・保安院の関係もぎくしゃくし「二重行政」が責任の所在をあいまいにする。監督役のはずの班目委員長さえ「保安院が情報を出さない。規制官庁としての見解がない」と憤る。

 安全委は「炉心溶融の可能性」に事故直後から言及する一方、保安院は4月18日にようやく溶融を正式に認めたが「ペレットは溶けたが、(すべての)燃料が溶け落ちる炉心溶融とは異なる」と説明した。

1カ月後のレベル7 「ムラの論理」が遅れ招く


原発事故 迷走1カ月半を検証 2011/4/30 4:00

無人機で撮影した東京電力福島第1原子力発電所(3月24日)=エアフォートサービス提供

 「福島第1原発事故をレベル7と暫定評価」。4月12日、経済産業省原子力安全・保安院の西山英彦審議官は厳しい表情だった。国際原子力事象評価尺度(INES)では最悪。「フクシマ」はチェルノブイリと同じ重大事故の代名詞になった。

 レベル7の根拠は「数万テラベクレル(テラは1兆)の放射性物質の数時間にわたる放出」。共同会見した原子力安全委員会は、3月15日から数日にわたり、高水準の放射性物質の放出が続いたとする。
 1カ月前のデータによる突然のレベル7宣言。国民にはそう映った。保安院は3月18日にINESをレベル5に上げて以降は据え置く。「変更に値する事象が起きれば見直す」。西山氏は繰り返していたが、事象が起きたのははるか前だった。

1986年事故直後のチェルノブイリ原発=AP

 安全委は早くから把握していたフシがある。安全委が放射性物質の拡散予測を初公開した3月23日。班目春樹委員長は前提として「400兆ベクレルの放出を仮定」と口にした。各地の数字からINES基準では既にレベル6だったが安全委と保安院が議論した形跡はない。

 「驚くことではない」。レベル7宣言の翌13日、米原子力規制委員会(NRC)のヤツコ委員長は冷静だった。虚を突かれた日本国民とは対照的だった。「原子力行政は縦割りで意思疎通が乏しい。見直しは不可避だ」。原子力関連の政府組織OBは自嘲気味に語る。縄張りを越えない「ムラの論理」。過去の原子力事故でも指摘された悪弊がまた顔をのぞかせた。

2011年4月29日金曜日

NY金、最高値更新3日連続 一時1569.8ドルまで上昇

NY金、最高値更新 NY株は2年11カ月ぶり高値   2011/4/30 10:35

 29日のニューヨーク市場で金先物価格(6月物)が通常取引後の時間外で
一時1トロイオンス1569.8ドルまで上昇し、中心限月としての最高値を更新した。
4月月間では8.1%上げ、2009年11月の13.6%以来の上昇率。
この日はダウ工業株30種平均も4日続伸し、
08年5月20日以来約2年11カ月ぶりの高値を付けた。
米国の緩和的な金融政策が続くとして、
投資マネーが金などの国際商品や株式に流入している。

 金が最高値を更新するのは3日連続。
米連邦準備理事会(FRB)が27日に開いた米連邦公開市場委員会(FOMC)で
6月末に量的緩和第2弾(QE2)を打ち切った後も
資金供給を維持すると決定したことから、上昇にはずみがついている。

 外国為替市場でドルが対主要通貨で下落したのも、
ドルの代替資産とされる金が買われる要因になった。
原油先物相場も3日続伸し、
期近の6月物は前日比1.07ドル高の1バレル113.93ドルで取引を終了。
国際商品市場への資金流入が続いている。

 ダウ平均の終値は前日比47ドル23セント(0.4%)高の1万2810ドル54セント。
ハイテク株の比率が高いナスダック総合株価指数は8日続伸し、
00年12月以来10年4カ月ぶりの高値で終えた。
キャタピラーや石油大手シェブロンなどの決算が市場予想を上回り、
収益の拡大期待が高まった。

 ダウ平均は4月の月間で490ドル(4.0%)高と、
昨年12月以来の上昇率となった。
今月4日、3月の雇用統計が予想よりも改善したことを手がかりに、
年初来高値を更新。
東日本大震災直後には一時的に投資家のリスク回避が強まったが、
米主要企業の1~3月期決算が好調だったことなどをテコに反発に転じてきた。

 低金利の持続やカネ余りの期待感から、
国際商品や米国株は当面は高値圏で推移するとの見方が目立つ一方で、
余剰マネー主導の上げに一部には警戒感も出ている。

2011年4月24日日曜日

金のつぶやき金1500ドル史上最高値、7つの理由 2011/4/24 0:00

金価格はついに1500ドルをつけた。その背景には7つの要因がある。

1. 有事の金 リビア、フクシマと国際的有事が勃発し、地政学リスクが高まる中で、リスクを回避し相対的な安全性を求めるマネーが実物資産の代表格である金に流入した。

2. インフレ リビア情勢の緊迫は原油高を引き起こし、新興国需要の高まりは穀物などの資源価格を押し上げ、新興国ではインフレ懸念が拡散。さらに先進国にも波及しつつある。また、先進国では量的緩和政策により通貨供給量が急増。貨幣価値が希薄化することによる資産インフレの兆候も出始めた。そこでインフレヘッジとして金が買われている。

3. 通貨不安 今回1500ドルをつけた決め手になったのが、米スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)による米国債見通しの弱含みへの引き下げだ。にわかに米ドルに対する信認低下が加速した。
 しかし、2011年に入ってからの金とドルの関係を検証すると、ドル高の局面でも金が上がっている。ドル高ということはユーロ安、円安ということで、財政危機を抱えるユーロに対する不安感が高まり、また震災後は円への不信感も募っているのだ。
0 そこでドル、ユーロ、円がそれぞれに構造的問題を抱え“弱さ比べ”を演じるという通貨不安が拡大する中で、金が“無国籍通貨”として浮上している。通貨の原点回帰ともいえようか。これまでのようにドル安で代替通貨として金が買われるという単純な公式が当てはまらず、新たな局面を迎えているのだ。
 ユーロに関していえば、トレーダーたちは金利差要因でユーロを買うが、投資家たちは相対的にユーロ高になっても構造的要因によりユーロ不安を募らせている。

4. ソブリンリスク 従来、安全資産の代表格であった国債が日米欧いずれの地域においても財政規律の緩みにより不安視され始めた。特にギリシャ、ポルトガル国債は債務再編、デフォルトの可能性さえちらつく。
 そこで安全性を求めるマネーが、国債から金、スイスフランなどへシフトしている。実際、筆者のゴールドセミナーで最も頻繁に発せられる質問が「日本国債は大丈夫か」ということなのだ。
 リーマンショック後は株から金へのシフトが顕著であったが、2011年は国債を売って金に乗り換えるというリアロケーションが目立つ。金は発行体の無い無国籍通貨ゆえ、ソブリンリスクはゼロなのだ。

5. 新興国需要急増 2010年はインド、中国の2カ国が年間の金生産量2600トンの6割近くを買い占めた。両国の買いは、NY(ニューヨーク)のファンドが先物で売り込み、価格が急落したところを徹底的に拾ってゆくという形。ゆえにバーゲンハンターと呼ばれる。
 2011年1月にも金価格が1300ドルすれすれまで急落したが、中国の個人投資家がインフレヘッジ目的で大量の現物買いをした。これが一時は現物供給不足を起こすほどの規模となり、結局、NY先物売り攻勢を押し切った。この例に見られるように、新興国の買いはレンジの下値をガッチリとガードする効果を持つ。特に中国の買い支えは“鉄板”である。中国人民銀行は利上げを繰り返しているが、金価格は上昇している。人民が金を買うのは、金融政策への不信感の表れともいえよう。

6. 中央銀行の金買い 1990年代に金価格を250ドルにまで押し下げた最大の要因は、欧州各国の中央銀行による金大量売却であったが、2010年は中央銀行部門が買い越しに転じた。
 これはBRICsの中国、ロシア、インドなどが、膨張する外貨準備の中の米ドルの一部を金にシフトさせているためだ。年間500トン程度は売却していたので、それがマイナスの売却量(=購入)に転じたことが需給バランスを逼迫させている。
7. 新産金量の伸び悩み 金価格は過去10年間で5倍以上に上昇したが、世界の金生産量は1割程度しか増えていない。もはや海底など過酷な自然環境の中にしか有望な金鉱脈は残っていないので、新規鉱山開発案件が一向に上がってこないのだ。さらに生産コストも800ドル以上となり、この10年で3倍近くに急上昇している。
 以上の要因はいずれも根の深い構造的要因であり、それらが7つ絡み合って複合要因となっているので、持続性のある上昇トレンドが形成されている。毎日、日替わりメニューのごとく入れ替わり、7つの中の1つ2つから新規材料が出てきているのだ。 では、下げの要因は何が考えられるだろうか

1. リビアの電撃的和平などが実現すれば原油価格も急落し、つられて金価格も下がるだろう。

2. 量的金融緩和/が予定通り6月末に終了すれば、過剰流動性を織り込んだ相場には失望感から売りが先行するだろう。さらに金融政策の正常化から踏み込んで引き締めへの転換、利上げなど、いわゆる出口戦略が発動されれば、金利を生まない金は売られよう。しかし景気が好転すれば物価も上昇するので、実質金利マイナスという状況が続けば金価格の本格的下げとはならない。

3. そこで本当に金が下がる状況は、いわゆるゴールディロックス(適温経済)の実現。熱すぎてインフレにもならず、冷えすぎてデフレにより破綻リスクが高まることもなければ、マネーは株、債券に回帰する。米連邦準備制度理事会(FRB)議長のバーナンキ氏が出口戦略を成功させるシナリオだ。ゆえにバーナンキを信じるのなら、金は売りである。
4. 最後に金特有の要因として、リサイクルを挙げておかねばならない。金は腐食しないので金製品などが高値に誘われて市場にリサイクルとして還流してくる。その量は2009年、2010年と1600トン台に達し、過去最高水準。“金・プラチナ買います”と記したのぼりが全国で見られるが、これは世界的現象なのだ。このリサイクル還流は供給増を意味するので、価格上昇にブレーキをかける。
 比較すると、原油は燃えて消えるのでリサイクルがなくブレーキが利かず、値動きが軽く10倍に跳ね上がったりする。その反動の下げもきつい。その点、金は値動きが重いともいえるし、安定的ともいえる。
 以上、本コラムの第1回では、金市場に何が起こっているのかという最新情報をまとめてみた。これから毎週更新してゆく。

2011年4月18日月曜日

金 最高値更新1498.6ドル NY株 240ドル超す下げ

NY株、一時240ドル超す下げ 金は最高値更新 S&P、米国債の格付け見通し下げ
                                                                                   2011/4/19 1:32

 米国債の長期格付け見通しの引き下げを受け、
18日午前のニューヨーク市場でダウ工業株30種平均が大幅に反落して始まった。
投資家のリスク回避が強まり、下げ幅は一時240ドルを超えた。
正午(日本時間19日午前1時)現在、前週末比204ドル12セント安の1万2137ドル71セント。
一方で比較的安全な資産とされる金先物は買われた。
取引の中心である6月物は
一時前週末比12.6ドル高の1トロイオンス1498.6ドルと過去最高値を更新した。

 米国債には売りが先行し、
米長期金利は一時前週末比0.04%高い(価格は安い)3.45%前後まで上昇した。
ただ、マネーが株式などのリスク資産を避ける「質への逃避」で、
その後は米国債が買い戻されている。

 外国為替市場では円相場は3日続伸し、
一時1ドル=82円51銭とほぼ3週間ぶりの円高・ドル安水準になった。
米国株の急落を受けて、運用リスクを回避する目的で円が買われている。

NY 金(ドル/トロイオンス) ニューヨーク商品取引所(中心限月) 1,492.90 ▲ +6.90 18日終値

東京 金(円/グラム)    東京工業品取引所   (期近物)    3,956 ▼ -6 19日 17:07

※ 夜間取引の場合は取引が翌営業日扱いとなるため、翌営業日の日付が表示されます。


NY金、4日続伸 6月物1492.9ドル 一時1500ドルに迫り最高値


  18日のニューヨーク金先物相場は4日続伸した。
ニューヨーク商品取引所(COMEX)で
取引の中心である6月物は前週末比6.9ドル高の1トロイオンス1492.9ドルで終えた。
格付け会社による米国債の格付け見通し変更を受けて
リスク回避を目的とした金の買いが優勢となった。
  一時1498.6ドルまで上昇し、中心限月としての最高値を更新した。

 米格付け会社スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)が
米国債の長期格付けの見通しを「安定的」から「ネガティブ(弱含み)」に変更した。
米財政問題の先行き不透明感を背景に、
投資家が運用リスクを避ける動きを強めるとの見方から、
逃避資金の受け皿となりやすい金の買いが膨らんだ。

 6月物は午前中のS&Pによる発表直後に急伸。
心理的節目の1500ドルに迫った後は、高値圏でもみ合った。

 銀は4日続伸。プラチナは続落した。

2011年4月10日日曜日

国民と東電の悲劇、企画・総務そして東大卒で無ぃ資材部・慶大卒社長

東電の過去40年の主な歴史 歴代社長


1971 東電初の原発、福島第1原発1号機が運転開始 水野久男(総務、71~76)

1974 第1次オイルショックで大幅値上げ 政治献金を取りやめ

1980 第2次オイルショックによる燃料費上昇で79年度に赤字転落 平岩外四(総務、76~84)

1982 福島第2原発1号機が運転開始

1985 柏崎刈羽原発1号機が運転開始

1990 平岩外四氏が経団連会長就任(~94) 那須翔(総務、84~93)

1995 電力自由化で発電事業者(IPP)の電力卸売り解禁

1997 福島、新潟県にプルサーマル計画を表明。柏崎刈羽原発7号機が稼働し、原発総出力が現在の1730万キロワットに 荒木浩(総務、93~99)

2000 電力自由化で特定規模電気事業者(PPS)の電力小売り解禁

2002 東電の原発データ改ざん事件発覚。南社長ら辞任 南直哉(企画、99~2002)

総合資源エネルギー調査会で「発送電一貫体制存続」答申案

2007 発電所データ改ざん事件発覚。新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発全面停止 勝俣恒久(企画、02~08)

夏場に電力不足で大口需要家に送電抑制実施

2008 28年ぶりに最終赤字転落(07年度) 清水正孝(資材、08~)

2010 原発輸出推進する「国際原子力開発」を東電主導で設立

2011 東日本大震災で福島第1原発が被災し、原発危機

2011年4月7日木曜日

福島第一原発 原子炉6基並ぶ世界に例ない“原発銀座”の理由

東電の供給管内ではない福島(東北電力管内)に、なぜ東電の原発があるのか。
2007年の中越沖地震で緊急停止した柏崎刈羽原発も、設置は東電だが、
所在地は東北電力管内の新潟
。両原発ともに、福島や新潟には電気をほとんど供給していない。


 日本の原子力発電の歴史は1955年の原子力基本法制定に始まり、
1966年に日本原子力発電(※1)の東海発電所(茨城県)が
運転を開始した(1998年に稼働終了)。

 そして、1970年代に起きたオイルショックが原発建設を加速させる。
国が発電の原子力シフトを打ち出したことにより、福島第一原発のほか、
関西電力の美浜原発や高浜原発(いずれも福井県)、
中国電力の島根原発などが相次いで運転を開始した。
1974年には電源三法(※2)が制定され、
受け入れる自治体に補助金を交付する仕組みが作られた。

「有り体にいえば、原発建設に反対する住民を懐柔するための法律です。
自治体首長たちは、補助金目当てに発電所誘致に名乗りを上げ、
住民の間にも誘致が決まれば地元が潤うと賛成する者が増えた。
その結果、
東電の原発が管内とは別のエリアに建設されるようになった」(経産省OB)

 受け入れ自治体にとって電源三法の旨味は、
5~6年を要する工事期間にある。
経産省が示すモデルケースによれば、
建設中は年間80億円近い補助金が交付されるが、
稼働後は4分の1に下がる(出力315万キロワット規模の発電所の場合)。
固定資産税収入も減価償却で年々減少する。

「誘致した自治体は歳入減を避けたい。
“1機誘致したら2機も3機も変わらない”と新規建設を受け入れていく」(同前)

 そして、福島第一にはあのような原子炉が6基も並び、
世界に例のない原発銀座ができあがった。

(※1)日本電子力発電/1957年、
原子力発電の事業化のために設立された原子力発電専業の会社。
現在、東海第二発電所や敦賀発電所の運転操作を行なう。
筆頭株主は東京電力。

(※2)電源三法/1974年に定められた
「電源開発促進税法」「特別会計に関する法律
(旧・電源開発促進対策特別会計法)」「発電用施設周辺地域整備法」のこと。
施設周辺の公共施設の整備を促し、地域住民の福祉向上を図ることで、
電源立地のメリットを地元に還元することが目的。

                                                                                        ※週刊ポスト2011年4月8日号

2011年4月6日水曜日

東電に警察・公安から天下り多い理由 暴力団からの「用心棒」

 原子力発電所の用地買収や反対派の説得交渉は
暴力団や悪徳ブローカーの格好の金づるとなるため、
一民間企業の東電社員にそれを抑え込むことは困難だ。
そのため、「蛇の道は蛇。
闇社会に顔が利く組織や人物に頼らざるを得ない」(東電の元幹部)となる。


 東電の用地買収に関わった土地ブローカーが語る。

「電力会社はどれほど反対があっても発電所を作らなくてはならない。
工作に注ぎ込むカネも潤沢だ。
だから、ゴネる側も交渉を代行する側も要求が膨れあがる。

 関西電力の話だが、1990年代に進められた
石川県の珠洲原発建設計画(2003年に中止)の用地買収に
協力した暴力団組長が、
見返りとして関電に30億円を要求したことが明らかになった。
民間同士の取引なので事件化することはほとんどないが、
この種の話は東電でも腐るほどあった」

 東京電力に警察・公安関係組織の天下りが多い理由もここにある。

「彼らを受け入れるのは、
暴力団やブローカーの要求がエスカレートするのを防ぐため。
いわば用心棒役です」(前出の元幹部)
                                                                  ※週刊ポスト2011年4月8日号

2011年4月5日火曜日

年収1650万円デタラメ 否 斑目が曰く原発汚染知識持ち合わせとぃない

原子力安全委員 最短週10分の会議出席で年収1650万円


原発事故で刻々と状況が悪化する中でお目付役である原子力安全委員会は何をしていたのか。
震災発生翌日(3月12日)の朝、
菅首相の原発視察に同行した班目春樹・原子力安全委員会委員長。

 同委員会は原子力の安全確保のために内閣府に設けられた「原発の監視役」で、
事故が起きれば専門家としての知見を国民に示す立場にある。
 が、班目氏が初めて会見したのは23日の夜。
28日の会見では、建屋に溜まった高放射線量の汚染水処理について、
「知識を持ち合わせていないので、
東電と原子力安全・保安院にしっかりと指導をしていただきたい」
と答えて周囲を唖然とさせた。
 同委員会は委員長以下、委員5人はいずれも常勤の特別職公務員。
ただし、常勤といっても定例会議は週1回だけ。
議事録を確認する限り、会合は最短で10分弱、長いもので1時間半だった。
これで約1650万円の年収(月給93万6000円とボーナス)を貪っている。
 なお、内閣府には原子力関係予算の配分を審議する「原子力委員会」もあるが、
こちらの委員(常勤3人)も同額だ。
だが事故発生後の会議はすべて休会となっている。今、働かなくていつ働くのか。
                                                                                    ※週刊ポスト2011年4月15日号

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