2008年4月11日金曜日

野茂投手1000日ぶりメジャー登板

野茂、抱きしめたい 1000日ぶりメジャー登板
2008年04月11日12時50分
 【米ミズーリ州カンザスシティー=山田佳毅】大リーグ、ロイヤルズの野茂英雄投手(39)が10日(日本時間11日)、当地であったヤンキース戦にメジャー復帰後、初登板した。野茂のメジャーのマウンドはデビルレイズ(現レイズ)時代の05年7月15日以来で、ちょうど千日ぶりだった。
1―4と3点リードされた7回、場内アナウンスを受けた野茂は右翼後方にあるブルペンから駆け足でマウンドへ。先頭打者にいきなり初球を左前安打された。さらに2四球などで2死満塁とされ、5番・右翼で先発した松井秀喜外野手と対戦。カウント2―2から左飛に打ち取り、無失点で切り抜けた。8回も無失点で投げたが、9回は2本塁打を浴びた。かつてのワインドアップからのトルネード投法ではなく、すべてセットポジションから投げた。
 野茂は05年にデビルレイズから戦力外通告を受け、解雇された後、ヤンキースやホワイトソックスのマイナーでプレー。さらにその後は右ひじの手術やベネズエラでのウインターリーグなどを経験し、メジャー復帰を目指していた。ロイヤルズとマイナー契約した今年は招待選手としてキャンプに参加。足を痛めて開幕ベンチ入りは逃したものの、今月5日、メジャー昇格を果たした。
■必ずチャンスあると信じ
 「口には出さないが、ずっとつらい思いをしていたはず。よくやってくれた」。野茂投手の大阪・成城工高(現成城高)時代の監督、宮崎彰夫さん(65)はこう言って、再びメジャーのマウンドに立った教え子をたたえた。
 2月、ロイヤルズのキャンプを前に帰国中だった野茂投手に激励の電話をかけた。右ひじの具合を聞いたところ、「いいです」と答えたという。相変わらず口数は少なかったが、宮崎さんは「彼にはメジャーへの執念がある。ひじさえ問題なければ大丈夫だと思っていた」。
 渡米後もインターネットを通じて野茂投手の動向に注目してきた。開幕直前の3月末に右足を痛め、開幕メジャー入りを逃す。しかし、宮崎さんは「彼の性格上、呼ばれたら痛くても投げてしまう。治療に専念できてよかった。ヒルマン監督の元であれば、必ずチャンスが来ると信じていた」と振り返る。
 長年慣れ親しんだ先発ではなく、中継ぎで起用された野茂投手。ひじへの負担を軽くするため、大きく腰をひねる「トルネード投法」をやめ、セットポジションから投げる。「連投が続く分、体を相当ケアしないといけない。彼はじっくり考えるタイプ。1年を通して投げることを考え、決めたと思う」と宮崎さん。傷ついても、倒れても、あきらめずに立ち上がる姿に、心から声援を送る。
■納得いくまで投げて
 野茂投手の新日鉄堺時代の先輩で、野茂投手が設立した社会人クラブチーム「NOMOベースボールクラブ」の監督、清水信英さん(50)は「(メジャー復帰は)手術やトレーニングなど地道な努力を続けた結果。苦しい時期でもメジャーへの思いは決して衰えなかった」と話す。
 メジャーから遠ざかっていた時期も野茂投手は弱音を吐かなかったという。「投げられない悔しさや歯がゆさはあったはず。そこが彼の芯の強さだと思う」
 大阪・成城工高時代の監督、宮崎彰夫さん(65)はインターネットを通じて動向を見つめてきた。「納得いくまで投げ続けてほしい。いつか必ずリタイアする時はくる。その時は抱きしめてやりたい」
■■野茂投手の歩み■■
87年   大阪・成城工高卒業、社会人野球の新日鉄堺へ
90年   ドラフト1位で近鉄入団、18勝で新人王、最多勝など
95年   ドジャースに入団、13勝で新人王に
96年9月 ロッキーズ戦で無安打無得点試合(ドジャース)
01年4月 オリオールズ戦で無安打無得点試合(レッドソックス)
03年4月 大リーグ通算100勝(ドジャース)
03年9月 日米通算3千奪三振(ドジャース)
05年6月 日米通算200勝(デビルレイズ)
05年7月 デビルレイズが解雇
06、07年 大リーグ登板なし

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