2008年7月5日土曜日

温暖化ガス削減出来ぬ政府と経団連の密約

2008年7月4日放送
排出量削減できず・・・「京都議定書」の裏に"密約"
1997年、先進国に対して二酸化炭素などの温暖化ガス削減を義務付けた「京都議定書」が採択された。日本の削減目標は1990年を100とすると、マイナス6%の94。しかし2006年度の排出量は、その目標に近づくどことか、逆に6.2%も増えてしまった。なぜ日本の温暖化対策は進まないのか?足かせとなっている背景には、日本が京都議定書を批准する際、経済産業省と経団連との間に結ばれた、ある"密約"があった。10年以上にわたり環境問題の取材を続けている朝日新聞の竹内敬二編集委員は、日本の温暖化対策が進まない理由をこう指摘する。「日本の温室効果ガスが減らない最大の理由は、減らすための大きな仕組みがないこと。政府は産業界、とりわけ経団連に気を使いすぎて、積極的な政策が展開できないでいる。これが日本の状況だと思う」2001年の春…京都議定書の発効に暗雲が立ち込めていた。誕生したばかりのアメリカ・ブッシュ政権が「途上国に対する義務付けがない」と突如、議定書からの脱退を表明したのだ。議定書の発効のためには、全先進国の排出量のうち合計で55%以上を占める国の批准が必要だった。最大の危機を迎えた中、命運はうち8.5%を占める日本の動きにかかっていた。しかし、国内には経団連を中心とした産業界という圧倒的な反対勢力が立ちはだかっていた。すでに産業界では自主的な行動計画に従い、業界ごとの排出削減に実績を上げていたのだ。当時、経団連の環境委員長だった山本一元氏はこう語る。「雇用へ向き合い、国際競争をやり、削減コストを負担する・・・まさに"三重苦"だった。我々としては、できない約束をしてはいけない。確実にできることをやらなければならない」2001年4月、就任直後の小泉総理はアメリカに配慮しながらも批准の道を模索していた。事態が一変したのは、その年の7月にドイツで開かれた国際会議だった。この交渉で日本は『6%削減のうち、3.8%を森林で吸収する』という要求を通そうとしていた。実現すれば日本の削減負担は大きく軽減され、産業界の負担も減る。これにヨーロッパは難色を示していたが、会議の終盤になって大幅に譲歩し、日本は3.8%の「森林吸収」を満額回答で勝ち取ったのだ。朝日新聞の竹内敬二編集委員は「欧州は、日本の要求を蹴っていては本当に京都議定書は壊れるかもしれないと心配した。3.8%というのは、いわば日本のゴリ押しの結果」と語る。日本の要求が通ったいま、残された課題は産業界との調整だった。しかし、アメリカ抜きでの批准はできないとする経団連の主張は変わらなかった―――。タイムリミットが迫る中、とある経団連首脳の下を経済産業省の幹部が極秘に訪れ、批准に反対する経団連を納得させるための話し合いが行われていた。「我々の排出量の自主行動計画はプラスマイナス0以下。マイナス6%なんてできっこない。民間への介入は反対だ」とする経団連首脳に対し、「いまさら環境に後ろ向きの姿勢を示すことはできない」とする経済産業省幹部。一方の経団連もアメリカ抜きの批准に反対しながら、批准に向けた世論の高まりを気にかけていた。元経団連環境委員長の山本一元氏は、当時の様子をこう語る。「公平感が味わえるような新たな仕組みを作って欲しいと、繰り返しお願いしていた。ただ、世論は経団連に対しては非常に厳しかったのは事実」経団連は「温暖化対策の大綱には、"環境と経済の両立"という言葉を必ず入れてくれ」という条件を出した。"環境と経済の両立"という言葉は、削減目標に取り組む上で、経済活動は妨げないという政府の確約を求めたもの…。経済産業省側もその条件を受け入れて、経団連首脳に対してこう確約した。「日本政府として京都議定書は批准しても、環境税や排出量取引制度といった強制的な措置は産業界に課さない」と。小泉内閣と産業界―――双方の思惑の一致。産業界に強引な措置は課さないという"密約"は結ばれた。翌2002年3月に閣議決定された「地球温暖化対策の大綱」。基本方針の筆頭には、"環境と経済の両立"という言葉が明記された。この"密約"は外部には一切公表されず、文書にも残されていない紳士協定だった。そして6月、日本は京都議定書を批准した。それから6年、この間、産業界は排出量をほぼ横ばいにとどめ、政府も強制的な措置は避け続けた。しかし、"密約"の効力も永遠ではない。先月、新たな温暖化対策「福田ビジョン」が発表された。産業界が強く反発する「排出量取引」や「環境税」の導入を政府として初めて、検討すると盛り込んだ。"密約"の想定は、あくまで京都議定書の期限である2012年までだという。

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